ミスを犯した時に「なんとかなった部分」にも注目してみると自責の念に囚われることが減るという話
仕事で少しミスをしてしまった。父親譲りの完璧主義のパーツがあるおかげで、大小関わらずミスを犯してしまうとやっぱり凹む。
ミスを犯してしまって心に衝撃を受けた時は、そのままズルズルと他の業務にも影響しないように、コーピングマントラを唱えるなどして、今以上に傷口を広げないようにするのが僕の対処法。コーピングマントラについては、以前のブログを読んでみてくださいね。
そして、同じミスを繰り返さないように、改善策をEvernoteに書くようにしいている。
それでね、改善策を書いている時にふと気づいたんだよね。
「でもこれって〇〇さんのおかげでなんとかなってるやん!」
ってね。
そう、僕のミスは同僚がフォローしてくれたおかげでなんとかなっていた。
ミスは無いに越したことはないし、同僚に迷惑をかけたことは事実なんだけど、この「なんとかなっていた」というところがとても大事だと思った。
なんて言うのかな、「なんとかなったんだ」とわかると、自分一人で全部を背負い込むような感覚がなくなったんだよね。必要以上に自分を責めることもなかった。
なんとかなっている部分に目を向けると、それほど自分を責めたり、落ち込んだり、狂ったように改善策を考えたりすることが減るんじゃないかな。
また、「なんとかなる」ということを認めておくと、「もう2度ミスすることはできない!もしまたやってしまったら首だ」というように、過度に自分にプレッシャーを与えて、緊張でガチガチになってしまうことも減っていくのではないだろうか。
こんなことに今ごろ気付いたことが恥ずかしくもあるけれど、これからは「なんとかなっていること探し」も取り入れていってみることで、以前より楽な気持ちで日々を過ごしていけるようになると思った。
あとがき
なんとかなったは自分ではどうしようもない力のおかげ、つまり、他力のおかげで成立していることがほとんどです。
〇〇のおかげでなんとかなった
ようわからんけどなんとかなった
というように、なんとかなったと言う時には他力を意味する言葉がくっついてくることが多いです。
なんとかなったことを知ることは、自分が周りから守ってもらっているという安心感を得たり、守ってくれた人へ感謝の気持ちを抱いたりすることにつながるなぁと思います。
なんとかしてくれてありがとうの気持ちを忘れずに過ごしていきたいものです。
では、今日はこの辺で。
ちなみにこのブログは、Eric Claptonのベストアルバム『Forever Man (ジャパン・デラックス・エディション)』を聴きながら執筆しました。