私たちは日々「してあげること」と「してもらうこと」の循環の中で生きているんだと気がついた話
ランチでよく行くお店がある。定番メニューに「ローストンカツのカレーソースがけ」がある。トンカツはもちろんのこと、カレーソースがなかなか美味しいのである。ご飯にかけて食べるとさぞ美味しいカレーライスになるんだろうなぁといつも思っていた。
ある時インスタグラムにランチの写真と一緒に
「あまったカレーソースをご飯にかけて食べてみたいくらいにおいしい」
と書いた。
「あまったカレーソースをご飯にかけて食べてみたいくらいにおいしい」
と書いた。
そしたらその後にランチに行ったら
「これどうぞ」
と他のお客さんにはわからないようにスッとスプーンを出してくれた。
「これどうぞ」
と他のお客さんにはわからないようにスッとスプーンを出してくれた。
内心びっくりした。
インスタを見てくれたのだろうか。うん、きっとそうに違いない!
お店の人は僕のインスタのことには一切触れずスプーンだけを出してくれた。
その心遣いが嬉しかった。
僕はその店の常連のお客さんになりつつあるが、素性は明らかにしてないし、いつもカウンターの端の方で静かに、でもめちゃくちゃ幸せそうに、ランチを食べて帰るだけの人だ。
インスタには自分の顔写真をプロフィールに載せているので、お店の人は投稿者が僕であることがわかっているはず。でも、現在の関係性を考慮して、あえてインスタのことには触れなかったんだろうと思う。
余ったカレーソースをご飯にかけて美味しくいただきました。
そして、ますますお店のファンになりました。
こういうのって忘れないようにしたいな。
規模は小さなサプライズギフト
でも僕にとっては大きなサプライズギフトでした。
こういう「してもらったこと」っていうのは忘れてはいけないなって思った。そして、よく考えたら、僕の生活は「してもらったこと」で成り立っているんじゃないか!と気が付いた。
ランチを提供してもらっている というこだけでなく、ライフラインをはじめ、日常生活におけるありとあらゆることが、僕の知らない誰かさんから「してもらっている」ことなんだ。
人はひとりでは生きられないと言うけれど、まさにその通りだなと思う。日々、感謝感謝で過ごしたい。
一方で、僕も「してあげることで」、誰かさんにとっての「してもらったこと」をやっている。
してもらったお礼にお金を払うというのももちろんだし、自分の仕事だってそうだ。「してあげること」と「してもらうこと」の大きな循環の中に僕がいると思うと、仕事の意味や捉え方も変わってくるような気がする。
「してあげること」と「してもらうこと」の大きな循環の中に自分がいることを意識することって、幸せや豊かさを感じることにとって、めちゃくちゃ大事なことなんじゃないだろうか。
あとがき
人はしてあげたことは覚えているが、してもらったことは覚えていない という言葉にあるように、僕も「してもらったこと」を覚えていないことが多いです。
「してもらったこと」は意識して思い出す必要があるので、僕は「今日してもらったことは何ですか?」という質問を使うようにしています。几帳面な人は日記みたいに手帳につけていくといいかも。きっと感謝のエネルギーで溢れる素敵な手帳になるのではないでしょうか。
自分のできることを「してあげること」で感謝され、「してもらったこと」に対してたくさん感謝して、心豊かに過ごしていきたいものです。