ココロの皮むき

産業カウンセラーが学んできたことを書くブログ

「歩」という漢字には「少なくとも止まる」という意味が含まれていると気付いた話

 もうしばらくぶりのブログ更新になる。書くことが楽しくなくなって、書けなくなって、このままフェードアウトしていきそうなくらいになっていた。でも、こうやってまた1つ書けて、新たな一歩を刻めたことが嬉しい。
 
 
 「新たな一歩」と書いたが、「記念すべき第一歩」とか「夢へ向けて一歩踏み出した」とか、僕が「歩」を使う時にはとても前向きな希望を込めていることが多いように思う。時には「歩みを止めるわけには行かない」と、前を向くべく自分を鼓舞する時にも使ったりもするかな。
 
 
 そんな前に進むイメージが強い「歩」って漢字をよく見ると、面白い構造になっていることがわかる。「止まる」と「少ない」が上下になって「歩」。進むイメージの漢字の部品がそれと反する意味の漢字になっているなんて、ほんとに面白い。
 
 
「歩」が「歩、歩、歩、歩・・・・」と続いていく動きが「歩く」。
ということは、「歩く」ことは「少なくとも止まります」ってことを内包しているんじゃないだろうか!?
 そう気付いたら、自分が習慣にしていること、習慣にしようとしていることに対して、寛容的な姿勢で臨めるようになった。
 
 
 習慣にしていることって、その時の体調や状況によってできなくなってしまうことってあるもんね。でも、僕はそれがどうも許せないところがあって、できないことで自分を責めてしまったりしてしまっていたんだよね。だから、「歩き続けるには少なくとも止まることはあっていいんだ」と思えるようになったことが、だいぶ気持ちを楽にしてくれた。
 
 
 たぶん人によっては「少し止まります」だったり「止まるのは少しだけ」だったりと、捉え方は違ってくると思う。何かに猪突猛進に突き進んでいる人は「少しも止まりません」かもしれないなぁ。このように人それぞれ捉え方はあるだろうけど、僕は、歩き続けるコツは「止まることを厭わないこと」だと思うようにした。
 
 
 人生の歩みにも「少なくとも止まる」は大事なんじゃないかな。「人生山あり谷あり」「人生は重い荷物を背負って山を登るようなもの」など、人生の表現には「歩く」が暗在している。
 
 
 山でも谷でもそんな過酷な道中では、体力の回復、知識の補充、これまでの歩みの検証、心の癒し、等が必要であり、それは止まらないとできないもの。人生を最後まで歩き終えるには、少なくとも止まることは絶対に必要だと思う。止まる時間も人それぞれ、必要な分は止まって良いと思う。
 
 
 これからも、このブログの歩みは「少なくとも止まりながら」進んでいくと思う。それでも、「少なくとも止まりながらも歩みを続ける」ことの実践者として続けていきたいと思います。
 
 
とりあえず、今日はこの辺で。
 

f:id:kokoronokawamuki:20200928175634j:plain

あとがき

僕は『魔法の質問カード』という漢字が書かれたカードを使ってセッションをしたりもしているのですが、自分に向けてカードを引いた時に出てきたのが「歩」という漢字でした。
 
 
 今まで何度も目にしてきたものなのに、なぜかいまごろ「止まる」と「少ない」の組み合わせが気になったことから、今回の記事に書いた気付きを得ました。そして、これまたなぜか「これをブログに書きたい!」とからだの内側からフツフツと湧き上がるものがありました。こうやってまた「一歩」進められて嬉しいです。
 
 
 今、僕と同じようにいろいろな事情があって続けられなくなっていて悩んでいる人に声を大にして伝えたいです。「歩き続けるには少なくとも止まることって良いことなんだよー」って。