ココロの皮むき

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なぜ、月見うどんは目玉うどんではなく、目玉焼きは月見焼きではないのか?調べてみた話

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こんにちは。どいつよしです。
 
 
昨日、令和元年9月13日は中秋の名月だったそうです。
 
 
13日の金曜日ということで、厚切りじゃない方のジェイソンのことが少し気がかりでしたが、今朝の新聞にはチェーンソーによる殺人事件は載っておらず、ほっと胸を撫で下ろしたところです。
 
 
ところで、中秋の名月といえば、「お月見」ですよね。この「月見」という言葉を聞いてふとした疑問が湧いてきたのです。
 
 
それは、
 
 
 

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なんで、月見うどんは目玉うどんではなく、目玉焼きは月見焼きではないのか?

 

 

ということです。

 
 
一応、ググってみましたが、「目玉うどん」というメニューはメジャーではなく(一部の人がクックパッドで使っていたのを確認)、「月見焼き」も同様でした。
 
 
「月見うどん」「目玉焼き」の方が日本のメニューとしてメジャーであるということは間違いなさそうです。
 
 
でも、両方とも卵を崩さない状態の料理なのに、「月」と「目玉」とで例えられ方が違うなんて、どうでもいいけど、なんか気になりません?
 
 
Why Japanese people!? ←厚切りの方のジェイソンの叫び
 
 
昨晩の空はエルム街の悪夢のような分厚い雲に覆われていて、中秋の名月どころではありませんでした。
 
 
そこで、年に一度の名月を見られなかった悔しさを晴らすべく、知的好奇心をフルパワーまでに引き上げて、「目玉焼き」と「月見うどん」を調べることにしました。
 
 

目玉焼きと月見うどんの歴史について

日本の食べ物用語辞典 というサイトがインターネット上では一番信用できそうだったので、そちらで調べることにしました。
 
 

目玉焼き

目玉焼き(めだま焼き・目玉やき・めだまやき・Medamayaki)は、
 
 
卵(主に鶏の卵・鶏卵)をフライパンや鉄板ホットプレートなどの上に割落とし、黄身や白身を解きほぐしたりすることなく そのまま焼いたもの。
 
 
白身の真ん中に丸い黄身が盛り上がったその見た目から「目玉焼き」の名がある。
 
 
目玉焼きの歴史
今ほど一般的ではないものの、卵そのものは明治以前から食べられて来ているが、「目玉焼き」に関しては江戸時代の卵料理を紹介した本「卵百珍」にも記載が見られず、日本には明治維新以降、西洋料理とともに入ってきたとも言われる。
 
以上。
 
 
目玉焼きは明治維新以降から食べ始められたのですね。
 
 
ただ、誰がいつ「目玉焼き」と名付けたのかはわかりませんでした。
 
 
では、つづいて月見うどんにまいりましょう。
 
 

月見うどん

月見うどん(月見饂飩・つきみ饂飩・つきみうどん・Tsukimi Udon) は、
 
 
かけうどんの上に、生卵を割り入れたうどん。
 
 
卵の卵黄を月に、卵白を月にかかる雲に見立て、「月見」と呼ぶ。
 
 
・・・
 
以上!
 
 
なんと!月見うどんの歴史については一切触れられていません。編纂者が月見うどんで失恋でもしたのでしょうか。少し心が痛みます。
 
 
そこで、目玉焼きのところで出てきた「卵百珍」を調べてみることにしました。
 
 
なんと、江戸時代の料理本までもがインターネットで見られる!(信憑性は100%とは限りませんが。。。)
 
 
でも、さすがの「卵百珍」にも「月見うどん」は載ってませんでした。チーン。。。
 
 
卵雑炊はあったんやけどなぁ。惜しい!
 
 
まさか、月見うどんの歴史が先行き不透明になるとは。
 
 
月見うどんはムズカシイ!! ←厚切りの方のジェイソンの叫び2
 
 
ええい!こうなったら、バラバラに分けて調べてやる!
 
 
ということで、月見・うどん・卵の食用、のそれぞれで、いろいろな情報を元に調べていくことにしました。※情報元は最下部に記載
 
 
まず、月見から。
 
 
月見
日本では、単に月を愛でる慣習であれば古くからあり、日本では縄文時代頃からあると言われ、名月の日に月を鑑賞する風習の始まりは、貞観年間(859-877)の頃、中国から日本の貴族社会に入ってきているとのこと。
 
 
そして、現代のように庶民がお月見をするようになったのは江戸時代に入ってからで、その頃に「月見」という言葉が確実に使われていることがわかりました。
 
 
また、同じ江戸時代に月見団子が登場しています。月見団子が「月見」という言葉を冠にした最初の食べ物だったようなので、少なくとも「月見うどん」は江戸時代からということは言えそうです。
 
 
うどん
発祥には諸説あり、奈良時代に遣唐使によって伝えられた説や、その100年後に空海によって香川県に伝えられた説、鎌倉時代に円爾が中国から博多へ持ち帰った製粉技術によって広まった説などがありした。
 
 
そして、現代の形の「うどん」は江戸時代前期に全国的に普及していったそうで、うどん屋も江戸時代には誕生していたことがわかりました。
 
 
そして、江戸時代末期の風俗考証書『守貞謾稿』に当時の関西のうどん屋のメニューが記されており、「けいらん」という文字がありました。
 
 
これは、玉子とじうどんだったそうです。江戸時代で卵をうどんに使うようになっていたということは確実ですね。
 
 
以上を総合して、
 
 
江戸時代には月見うどんはあったかもしれない。
 
 
ということになりました。
 
 
しかし、月見うどんがいつから食べ始められたかというはっきりとした時期や、誰が「月見うどん」と名付けたのかというところは、残念ながらわからずじまいでした。
 
 

どう見立てたかの違いであることはわかった

以上のことから、はっきりわかったのは、
 
 
目玉焼きが
 
 
白身の真ん中に丸い黄身が盛り上がったその見た目から「目玉焼き」
 
 
月見うどんが
 
 
卵の卵黄を月に、卵白を月にかかる雲に見立て、「月見」と呼ぶ。
 
 
ということ。
 
 
卵をどう見立てたかによって「月見」と「目玉」になったかはわかりましたが、なぜその名を採用したのか、いつからその名が使われだしたのかについては、はっきりと知ることはできなかったのは無念です。
 
 
ただ、その見立て方は適当ではなく、私たちの食生活や、日本人の感性にしっかりマッチするものになるようになっているのではと、僕は思うのです。
 
 
注意!)ここからは、僕のあくまでも個人的な考えになります。
 
 
食生活にマッチしている目玉焼き!?
「目玉焼き」は朝食のメニューになることが多いです。
 
 
もし、これが「月見焼き」だったら、朝からノスタルジックな気分になって、仕事や学校どころではなくなるのではないでしょうか。
 
 
また、目玉という言葉にはインパクトがあり、強いエネルギーを感じます。
 
 
食材から得られる栄養とともに、言葉のエネルギーで、元気に1日をスタートさせることができることに貢献しているのではと考えることができます。
 
 
日本人特有の感性が生んだ月見うどん!?
「月見うどん」はうどんを白いキャンバスもしくは夜空に、白身を雲、黄身を月に見立てています(海苔が夜だという話もあります)。
 
 
かけうどんに卵を割り入れて、「月見うどん」というだけで、うどん鉢の中にひとつの世界が創造されます。そして、それを見た人ごとに違ったストーリーが脳内で展開され、味わいが違ってくるわけです。
 
 
これって、日本人の素晴らしい感性だと思いませんか。侘び寂びですね。
 
 
逆に、「月見うどん」が「目玉うどん」だったら、うどんに込められている日本古来から受け継がれてきた精神性・芸術性・伝統・心などが失われてしまう気がします。
 
 
ニッポンの誇り!!←厚切りの方のジェイソンの叫び3
 
 
ちなみに、もし「目玉おやじ」が「月見おやじ」だったら、それは単なるおやじじゃん!、、、
 
 
ということまで想像がエスカレートしそうでしたが、そもそも卵ではないことに気づき、すんでのところでやめました。ゲゲゲ。
 
 

感想

こんなに長々と書き綴ってきたにも関わらず、
 
 
なぜ、月見うどんは目玉うどんではなく、目玉焼きは月見焼きではないのか?
 
 
について、見立て方の違い以外に、はっきりとしたことはわからないままでした。
 
 
 

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しかし、器の中の様子を、想像豊かに比喩表現していく日本人の感性はすごいってことはわかりました。
 
 
卵を焼いただけなのにポジティブなエネルギーをもらえたり、卵を落としただけなのに松尾芭蕉も舌を巻きそうな侘び寂びの世界を創出させる、そんな日本人の感性が、今後も続いていくことを切に願います。
 
 
あと、このままではチコちゃんに叱られそうなので、ボーッとしてないNHKの製作者さんにぜひ、この問題について調べていただきたいと思います。
 
 
受信料ちゃんと払ってますので〜。
 
 
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