6月13日、三沢光晴の命日に思うこと。
NHKで流れた『スパルタンX』
今朝、NHKのラジオをつけると『スパルタンX』がかかっていました。『スパルタンX』は90年代のプロレスのスター、三沢光晴の入場テーマ。
なぜ、NHKで?
不思議に思ったのですが、今日は彼の命日だったことを思い出して納得。
広島で行われたタイトルマッチ中の事故で、プロレスの天才は天に召されました。
当時は各報道機関で大きく取り上げられて、皮肉にも、それによって三沢光晴の名前が広く全国的に知られるようになりました。
どういう流れで曲がかかることになったのかわかりませんが、NHKにも三沢光晴を知るプロレスファンがいたのでしょう。
僕は三沢光晴がこの世からいなくなると同時にプロレスから遠ざかりました。
プロレスが大好きだったけど、細かく言えば三沢光晴が好きだったんだと思います。
参照:日刊スポーツ
夢には叶える幸せと、追い続ける幸せがある
三沢光晴は夢を大切にするレスラーだったと思います。
90年代のプロレス界は全日本の四天王、新日本の三銃士、そして、それ以外にも団体が乱立し、あちこちに人気レスラーがいて、団体を超えた夢の対決を語るのが、当時のプロレスファンの楽しみでした。
WARの天龍源一郎が新日本プロレスに宣戦布告してから、90年代は新日本プロレスを中心に夢の対決が実現していきます。
2000年に入って三沢光晴が全日本を飛び出して、NOAHを作ってから、自身も夢の対決への扉を開けていきました。
大阪で生観戦した、橋本真也との初遭遇時の興奮と、凄まじいほど強烈なエルボーは、今でも忘れられません。
武藤敬司との天才対決は、僕たちが期待していたものを見事にやってのけてくれたし、当時やりたい放題で暴走王と呼ばれていた小川直也との奇跡の対決において、小川にプロレスをほとんどさせなかったことは、三沢光晴を語る上で外せない話題です。
でも、数々の夢の対決を実現させてくれた一方で、三沢がその対戦相手から直接勝ちを収めている場合がほとんどありません。体力の衰えがみえる天龍の挑戦を退けたくらいでしょうか。
シングルマッチを行った蝶野正洋とは、30分フルタイムドローでした。
各団体の顔であったレスラーに対して、自身も団体の顔であったが故の優しさもあったのかもしれません。
結局、三沢光晴は亡くなってしまったので、三沢絡みの夢の対決は、To Be Continuedのままです。同時に、三沢光晴最強説も継続したままです。
夢は実現してほしいと思う気持ちが強いほど、実現した後の喪失感もまた大きいものだと思います。
三沢光晴がプロレスファンの夢を大切にするからこそ、夢のままで良いところは夢のままにして、ファンの心に希望の光を灯し続けようとしたのではないかと考えると、
「この人は本当にプロレス界全体のことを考えるスターだったんだな。」
とリスペクトせずにはいられません。
今はYouTubeで全盛期の三沢光晴の試合を見ることができます。久しぶりに、三沢光晴の強烈なエルボーが炸裂する瞬間を見てみようと思います。
参照:日刊スポーツ