ココロの皮むき

産業カウンセラーが学んできたことを書くブログ

アドラーの劣等感を童話『ウサギとカメ』で説明すると凄くわかりやすくなった話。

アドラーと『ウサギとカメ』の関係性に気付いたきっかけ

 
今、僕は、魔法の質問仲間である、
ふじしーこと藤代圭一さんの著書を読んでいます。
 
 
「子どものやる気を引き出す7つのしつもん」
 
 
藤代圭一 旬報社 2017-04-26
売り上げランキング : 1243
by ヨメレバ
 

自ら考え、行動できる子どもになるための親の関わり方や心の在り方について書かれた良著です。
 
 
この本の中で、目標を設定する大切さの例としてイソップ童話でおなじみ『ウサギとカメ』が紹介されています。
 
 
それはこんな物語でした。
 
 
足がとびっきり速いウサギと、足がとびっきり遅いカメ。
そんな一羽と一匹が、やまの頂上をめがけて競争することになりました。
足が速いウサギは途中で居眠り。それを横目にカメはゆっくりだけど休まず、着実に進んで、先にゴールしました。

 


このお話しをふじしーはこう解説しています。

  

ウサギが見ていたのはカメかもしれません。ウサギにとってのカメは、ライバルとか競争相手に当たります。
一方、カメが見ていたのはゴールです。先を行くウサギのことよりも、目的地であるゴールだけを見て、歩みを進めました。
(中略)
勝負を分けたのは両者の「見ているもの」の違いだったというお話しです。
(中略)
ウサギとカメの逸話は、競争相手のことばかりを見ることで、もっとも大切な目標やゴールを見失うことがあるという教訓を含んでいました。

 


とても分かりやすいですよね。

 
 
このふじしーの解説を読んで、「これってまさにアドラーの劣等感の考え方と同じや!」と気づいたわけです。
 
 

アドラーの劣等感を『ウサギとカメ』で説明すると…

f:id:kokoronokawamuki:20170619235421j:plain

 
アドラー心理学における劣等感とは、
 
 
「理想の自分から比べれば、今の自分はたしかに劣っている。その時に感じる感覚」
 
 
という意味でした。
 
 
そして、現在の自分から、なりたい理想の姿を目指して、理想を追って努力していく(優越の追求をする)のが私たちであるということは、
 
 
 
 
でお話した通りです。
 
 
それをウサギとカメのお話に当てはめてみます。
 
  • 理想の自分の姿・・・ゴール
  • 今の自分の姿・・・カメもしくはウサギ
  • 優越の追求・・・ゴールまでの道のり
  • 劣等感・・・ゴールから見て現在の位置を省みた時に感じる感覚
 
そうしてみると、
 
 
劣等感を成長の素にして歩みを進めているのはカメです。
 
 
ふじしーも言っているように、カメはゴールしか見ていません。ウサギという他者と比べることなくゴールを目指してひたすら歩みを進めます。
 
 

ウサギは「優越コンプレックス」の象徴!? 

一方のウサギはゴールではなくカメを意識してしまいました。常にカメに勝つことだけを考えていたのです。
 
 
ゴールするという本来の目的を見失ってしまい、カメに勝っているということで優越感を得ようとしていました。
 
 
これは、まさにアドラーのいう「優越コンプレックス」です。
 
 
優越コンプレックスとは、
 
 
見かけだけの「自分の優越」を作り出して、自分が相手よりも優れていて、勝っていることを示そうとすること。
 
 
優越コンプレックスにとらわれた人の行動の特徴は、常に「私はあなたよりも優れている」「私はあなたよりも強い」「私はあなたよりも幸せだ」ということを、言葉や態度で示し続ける。
 

でした。
 
 
ここで、ウサギとカメの歌を思い出してみましょう。
 
 
♪もしもし かめよ かめさんよ
せかいのうちで おまえほど
あゆみの のろい ものはない
どうして そんなに のろいのか ♪

 

この歌詞からもウサギがカメに勝っているということを示すことで優越感に浸ろうという氣持ちがわかります。
 
 
競争する前からウサギはカメより速いことはわかっています。それでも競争することを選んだ。
 
 
それは、自分が常に誰かより勝っていることを誇示しないと満たされない心を持っているからで、カメが相手だとほぼ100%それを達成できると考えたから。
 
 
もし、ウサギの心が「優越コンプレックス」に支配されてなければ、カメに対して喧嘩を売ることはしなかったでしょう。
 
 

カメは「劣等コンプレックス」の象徴になりかけていた!?

この後カメが売られた喧嘩を買うことで、世紀の大一番が行われる運びとなるのですが、
 
 
もしかしたらカメは自らの歩みの遅さを受け入れていて、それでもなおウサギと勝負することを選択したのかもしれません。
 
 
そして、カメにはウサギと比べるという考えがなかったのではないかと思います。
 
 
だって、カメももちろんウサギの速さを知らない訳ではないでしょう。
 
 
もし、カメがウサギの速さと自分の歩みの遅さを比べてしまったら、「劣等コンプレックス」になっていた可能性が考えられます。
 
 
「劣等コンプレックス」とは、
 
 

常に相手より自分が劣っていることを理由に、本来の目指すべきゴールに向かって努力しないようにすること。

 

 
でした。
 
 
そこには、失敗することに対しての恐怖が隠れている訳ですが、
 
 
もし、カメが「劣等コンプレックス」を持っていたら、ウサギとの勝負そのものを避けようとするので、ゴールには一生たどり着けなくなっていたでしょう。
 
 

カメは「不完全である勇気」を持っていた!

カメが下馬評では勝ち目が無いと思われるウサギとの勝負を買って出たのは、自分の歩みの遅さを受け入れて、失敗することを許せる勇気を持っていて、
 
 
「劣等コンプレックス」に支配されない心の在り方をしていたからだと考えられます。
 
 
「どうせみんなもわかっていることだし、ウサギさんの優越コンプレックスを満たしてやろう」
 
 
くらいの懐の深さもあったのかも!?
 
 

お手本はカメ

アドラー心理学において、

 

理想の自分の姿と比べて、今の自分が劣っていると感じる劣等感を持つことは、理想の自分の姿を追い求めていくにあたって必要なものであります。

 

我々がお手本にするべくはカメのような生き方です。他者と比べることなく、理想の自分の姿というゴールだけを追い求めて、自分のペースとやり方で、進んでいきたいものですね。


 

最後に

いかがでしたか。
 
 
今回、アドラーの劣等感を「ウサギとカメ」のお話をもとに説明してみました。
 
 
自分の劣っている部分を受け入れて、本来の目的である「ゴールすること」を目指したカメと、
 
 
「優越コンプレックス」に苛まれカメに勝つことを意識するがあまり、本来の目的を見失ってしまったウサギ。
 
 
イソップ童話にもアドラーの思想が流れているのですね〜 笑
 
 
、、、と冗談はさておいて、
 
 
このように童話をもとに説明していくことで、僕自身もアドラーの劣等感についての理解が深まりました。これは意外な発見でした!

 
他の童話や昔話でも、心理学の理論を説明できそうな気がするので、いろいろ探してみようと思います。
 
 

よかったらこちらもどうぞ

kokoronokawamuki.hatenadiary.jp

  

今回参考にした本

藤代圭一 旬報社 2017-04-26
売り上げランキング : 1243
by ヨメレバ
 
向後 千春 小学館 2017-02-01
売り上げランキング : 20990
by ヨメレバ